不便なこと
鈴木です。
私が子供だった頃、ラジオの選局は”つまみ”で行っていました。
ザーというノイズをかきわけてお目当ての番組をチューニングするのは大変めんどうであり、不便でした。このような不便は「連続をたどる不便」というそうです。(京都大学デザイン学ユニット、川上浩司教授。)
川上教授は「不便益システム研究所」をたちあげ、こうした不便さの中にも人間の生活を豊かにするものがあると主張しています。
ラジオの選局をする際、昔は手動で連続性をたどりながらチューニングを行っていました。不便でした。
今はお目当ての番組にセレクトボタン一発でジャンプできます。そこに連続性はなく、便利です。
しかし便利になった反面、チューニングの連続性をたどる中で自分が知らなかったようなラジオ番組に出会う機会は減ります。日本の放送だと思って聞いていたラジオから突然韓国語が流れてくる驚きや発見はありません。
数学にも便利なものがあります。
公式はラジオでいえばセレクトボタンです。数字を代入して一発で答えにたどりつきます。便利です。
それはそれでよいのですが、なぜその公式が導かれたのか「めんどうくさい」過程を一度たどってみることも必要です。
なぜならそのめんどうくささ、不便さの中で思考の連続性をたどることができ、新たな発見や驚きにつながるからです。公式が生まれる過程をたどると、様々な図形の性質や数式の処理など重要な行程を経ていることに気づきます。そうした気づきや発見が記憶の定着にも結びつきますし、汎用性がグッと拡がります。また生徒自身の有能感も育まれるでしょう。
テスト前になると、どうしても小手先のテクニックで公式を無理やり覚えて対処する便利さに流されてしまいます。
しかしそれでは総合テストや入試問題のような考えさせる問題にしだいに太刀打ちできなくなります。
手間や過程の多い、ちょっと不便な授業も時に必要かもしれません。

(京大「不便益システム研究所」監修”素数ものさし” 素数しか表示されていません。不便。ですが長さを測るのに頭を使えます)
私が子供だった頃、ラジオの選局は”つまみ”で行っていました。
ザーというノイズをかきわけてお目当ての番組をチューニングするのは大変めんどうであり、不便でした。このような不便は「連続をたどる不便」というそうです。(京都大学デザイン学ユニット、川上浩司教授。)
川上教授は「不便益システム研究所」をたちあげ、こうした不便さの中にも人間の生活を豊かにするものがあると主張しています。
ラジオの選局をする際、昔は手動で連続性をたどりながらチューニングを行っていました。不便でした。
今はお目当ての番組にセレクトボタン一発でジャンプできます。そこに連続性はなく、便利です。
しかし便利になった反面、チューニングの連続性をたどる中で自分が知らなかったようなラジオ番組に出会う機会は減ります。日本の放送だと思って聞いていたラジオから突然韓国語が流れてくる驚きや発見はありません。
数学にも便利なものがあります。
公式はラジオでいえばセレクトボタンです。数字を代入して一発で答えにたどりつきます。便利です。
それはそれでよいのですが、なぜその公式が導かれたのか「めんどうくさい」過程を一度たどってみることも必要です。
なぜならそのめんどうくささ、不便さの中で思考の連続性をたどることができ、新たな発見や驚きにつながるからです。公式が生まれる過程をたどると、様々な図形の性質や数式の処理など重要な行程を経ていることに気づきます。そうした気づきや発見が記憶の定着にも結びつきますし、汎用性がグッと拡がります。また生徒自身の有能感も育まれるでしょう。
テスト前になると、どうしても小手先のテクニックで公式を無理やり覚えて対処する便利さに流されてしまいます。
しかしそれでは総合テストや入試問題のような考えさせる問題にしだいに太刀打ちできなくなります。
手間や過程の多い、ちょっと不便な授業も時に必要かもしれません。

(京大「不便益システム研究所」監修”素数ものさし” 素数しか表示されていません。不便。ですが長さを測るのに頭を使えます)