『やればできる』はホント? の続き
前回、肝心なところで終わってしまい申し訳ありませんでした。
嬉しいことですが、催促も頂戴いたしましたので早速続きをアップします。
「勉強しなければならない」とわかっているのに机に向かわせない原因、勉強するのを妨げている主な要因は二つあります。「要因」などと言うと難しそうな感じもしますが、ものすごく単純な話です。「な~んだ、そんなことか。」と思われるかもしれませんが(いや思われると思いますが)最後まで聞いてください。
妨げている要因その① 【「わからない」だから「やれない」】
ふだん勉強しない子供でも、テスト前やテストの結果が悪かったとき、たまには「勉強しようかな」と机に向かってみることはあると思います。
教科書・問題集を広げ、問題を解いてみる。「解けない」「手も足も出ない」、どうしようもなく数分後にはあきらめて机の前を離れ横になっている。
程度の差こそあれ、想像に難くないシーンです。この傾向は、特に積み上げ式の教科である「数学」「英語」によくみられます。中には、机から離れることはなくとも、他の教科「社会」などに避難するパターンなどもみられます。
せっかく「やってみよう」という気になっても、理解できないのであればやりようがありません。「わからない」だから「やれない」、当然のことではありますが、「やる気」の問題ではなく子供自身も苦しんでいるということを理解してあげてください。
妨げている要因その② 【体と頭がついてこない】
ほとんど運動をしていない人に、いきなり「毎日10km走りなさい」と言っても無理な話です。一日ぐらいは奇跡的にできたとしても二日とは続けられないでしょう。
運動で例えるとすぐに理解してもらえますが、こと勉強については意外と理解されていません。「その気にさえなれば1~2時間は勉強できる」と、ほとんどの人が思っています。
しかし慣れていないと、机の前に自主的に1時間「座り続ける」ことさえ苦痛なのです。ましてや1時間「勉強し続ける」となると、体だけではなく頭もバテてしまいます。(ちなみに学校などで「受身で勉強する」のと、自ら進んで「自主的に」勉強するのは根本的に違います。このことは、また別のコラムでお話したいと思います。)
勉強するためにも、勉強に向けた体と頭の持久力が必要なのです。私はこれを『学習体力』と言っていますが、『学習体力』の備わっていない段階で、いきなり自主的に長時間学習することを求めるのは、先の「10km走る」場合と同様に当然無理なことなのです。
では、どうすればよいのか? どうすればこれら2つの「妨げている要因」を取り除くことができるのか?
申し訳ありません。またまた長くなってしまいましたので、次回「完結編」とさせていただきます。 辛島
嬉しいことですが、催促も頂戴いたしましたので早速続きをアップします。
「勉強しなければならない」とわかっているのに机に向かわせない原因、勉強するのを妨げている主な要因は二つあります。「要因」などと言うと難しそうな感じもしますが、ものすごく単純な話です。「な~んだ、そんなことか。」と思われるかもしれませんが(いや思われると思いますが)最後まで聞いてください。
妨げている要因その① 【「わからない」だから「やれない」】
ふだん勉強しない子供でも、テスト前やテストの結果が悪かったとき、たまには「勉強しようかな」と机に向かってみることはあると思います。
教科書・問題集を広げ、問題を解いてみる。「解けない」「手も足も出ない」、どうしようもなく数分後にはあきらめて机の前を離れ横になっている。
程度の差こそあれ、想像に難くないシーンです。この傾向は、特に積み上げ式の教科である「数学」「英語」によくみられます。中には、机から離れることはなくとも、他の教科「社会」などに避難するパターンなどもみられます。
せっかく「やってみよう」という気になっても、理解できないのであればやりようがありません。「わからない」だから「やれない」、当然のことではありますが、「やる気」の問題ではなく子供自身も苦しんでいるということを理解してあげてください。
妨げている要因その② 【体と頭がついてこない】
ほとんど運動をしていない人に、いきなり「毎日10km走りなさい」と言っても無理な話です。一日ぐらいは奇跡的にできたとしても二日とは続けられないでしょう。
運動で例えるとすぐに理解してもらえますが、こと勉強については意外と理解されていません。「その気にさえなれば1~2時間は勉強できる」と、ほとんどの人が思っています。
しかし慣れていないと、机の前に自主的に1時間「座り続ける」ことさえ苦痛なのです。ましてや1時間「勉強し続ける」となると、体だけではなく頭もバテてしまいます。(ちなみに学校などで「受身で勉強する」のと、自ら進んで「自主的に」勉強するのは根本的に違います。このことは、また別のコラムでお話したいと思います。)
勉強するためにも、勉強に向けた体と頭の持久力が必要なのです。私はこれを『学習体力』と言っていますが、『学習体力』の備わっていない段階で、いきなり自主的に長時間学習することを求めるのは、先の「10km走る」場合と同様に当然無理なことなのです。
では、どうすればよいのか? どうすればこれら2つの「妨げている要因」を取り除くことができるのか?
申し訳ありません。またまた長くなってしまいましたので、次回「完結編」とさせていただきます。 辛島