変わらぬ思い

鈴木です。

 「桃源郷(とうげんきょう)」といえば、この世の楽園やユートピア、理想郷という意味で使われる言葉です。
 
 この言葉の出処となった「桃花源記(どうかげんのき)」の作者・陶淵明(とうえんめい)の一般的なイメージはというと「酒飲み」「世捨て人」「隠遁者」といったものが多いようです。

 しかし実際の彼は(酒飲みではありましたが)、現実主義者であり、日常生活を徹底して重んじていました。

 役所で記録官をしたり、地方自治体の首長を務めたり、文官としてあくせく働いていました。血なまぐさい権力闘争を目の当たりにしたこともありました。

 彼が生きていた時代は、今から1500年以上も前の魏晋南北朝時代。群雄割拠の混乱期。戦乱が絶えませんでした。

 ですから彼は、争いもなく、自給自足で暮らしていける世界など実際にはありもしないと考えていました。

 そんな陶淵明には5人の息子がいました。
 その息子たちを評した漢詩があります。やや長いのですがご紹介します。

  白髮被兩鬢 「白髪は両方の鬢(びん=耳際の髪の毛)を被い」
  肌膚不復實  「皮膚はもういろつやがない」
  雖有五男兒  「男の子が五人いるが」
  總不好紙筆  「全員が勉強を好まない」
  阿舒已二八  「舒(じょ)は十六歳(二×八)になるが」
  懶惰故無匹  「類まれなる怠け者だ」
  阿宣行志學  「宣はそろそろ十五歳になろうというのに」 
  而不好文術  「文章の学問を嫌っている」
  雍端年十三  「雍と端(の二人)は、十三歳になるが」
  不識六與七  「6と7との数量の差異が分からない」
  通子垂九齡  「通は、もうすぐ九歳になろうとしているのに」
  但覓梨與栗  「ただ梨と栗をねだるばかりだ」
  天運苟如此  「天運がこんなものならば仕方ない」
  且進杯中物  「とりあえずは酒でも飲んでよう」

 自分はもう老いてきているが全く勉強しない息子たちが5人いる。困ったなあ。でもどうしようもないから酒でも飲もう。というような内容ですね。

 今で言えばブログに日々の思いを書き連ねている・・・みたいな感じでしょうか。日常の生活を大切にする彼ならではの作品といえます。
 
 子供立ちの出来の悪さを嘆いているようですが、どことなく愛情も感じられる詩です。

 将来を不安に思いながらも息子たちへ希望と期待、叱咤激励が込められていると私は感じました。

 厳しい現実を生き抜くためには学問が大事だ、賢く生きるすべを身につけてくれ、たくましく生きてくれ、この乱世を生き抜いてくれ、頑張れ子供たち!

 1500年前も今も変わらない、一人の父親の思いが伝わってくるようです。

変わらぬ思い



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2016年06月14日 Posted byクレドアカデミー at 16:19 │日々雑感