火砕流と『報道の目的』
私は大学生活を福岡で過ごしており、学生生活の後半はテレビ局で報道カメラマンのアシスタントのようなアルバイトをしていました。
そのテレビ局は佐賀県・長崎県に系列局がなく、福岡の局が両県の取材もカバーしていましたので、佐賀県の吉野ケ里遺跡が発掘されたときや、長崎県の高島炭鉱の閉山などの取材にも同行していました。
1991年(平成3年)の今日・6月3日、雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生しました。
火砕流とは、高温の火山ガス(1000℃に達することもあります)が火山砕屑物とともに時速100kmの高速で火山から流下する現象です。
その頃、多くの人々は火砕流に関する知識をほとんどもっていませんでした。

この火砕流で、43名の尊い命が失われました。犠牲者の中には、20名の報道関係者(アルバイトや報道機関のタクシー運転手を含む)が含まれていました。ほんの数年時期がずれていれば、その中に私も含まれていたかもしれません。
当時は(今でもそうかもしれませんが)、各局が他局よりも「いい画(え)」を撮るためにしのぎを削っていました。
それは他局が撮っていないような画を押さえるために、危険な現場により早く、より接近することを意味していました。
雲仙普賢岳の悲劇は、こういった報道姿勢の延長線上で起こったものだと今でも思っています。そして報道各社がスクープをねらって現場に留まった結果、地元の消防団員の方々も巻き込まれてしまったのです。
火砕流の迫力ある映像が撮れたからといって、そのことが『報道本来の目的』にとってどれだけの意義をもっているのでしょうか。
報道本来の目的に沿わない事のために尊い命を危険にさらすのは、無意味以外の何ものでもありません。
激しい風雨の中体を飛ばされながら台風の中継を行っているのを観ると、普賢岳の教訓が活かされていないのかと悲しくなります。
以上、学長でした。