『天邪鬼の戯言』

『天邪鬼の戯言(あまのじゃくのたわごと)』だと思って読み流してください


金曜日にも書きましたが

いよいよ『非常事態宣言』が出されそうです


マスコミの論調は思ったとおり

「遅すぎる」「どうしてもっと早く出さなかったんだ」

と ほぼ一色に染め上げられています


しかし 本当にそうなのでしょうか?

もし4月1日にでも『非常事態宣言』が出されていたら

マスコミの論調はおそらく正反対のものとなっていたはずです


「要件も満たしていないのにどうして宣言を出すんだ」

「これで景気は低迷する 営業できなくなる人たちはどうするんだ」

「森友問題の隠蔽をねらっているのか」

「宣言出してもその後のことを考えていないじゃないか」

「宣言を出す前にもっとやるべきことがあるだろう」

目に浮かびます


さらに いきなり宣言が出されていれば 買い占めをはじめ市民生活にパニックを引き起こしたはず

宣言を出しても 対象となる都道府県の受入準備はできていたでしょうか


この数日で行政の準備と 国民の心の準備は徐々に出来てきました

この宣言に従うべきであるという 国民意思も形成されてきました


まさに絶妙のタイミングであると思うのは 単なる私の穿った見方なのでしょうか


ーーーーーーーーキリトリーーーーーーーー


もう40年も前の 私がまだ高校生だったころ

大学に進学した先輩が地元に戻ってきて

行きつけの喫茶店で顔を合わせたときの話


いろいろな大学の話などの流れで ひとつ私に聞いてきました

「市民運動などが盛り上がって デモなどが行われるようになったとき これを沈静化させるにはどうしたらいいと思う?」

どうも大学の講義の中で出た余談か何かだったようです

私も負けず嫌いなので 色々答えましたがかすりもしませんでした


そのときの答えは

「デモの中に 破壊行為など過激な行動を行う者をまぎれこませる」

というなものだったと記憶しています


ーーーーーーーーキリトリーーーーーーーー


マスクの話もそうです

周囲が「アベノマスク」と揶揄する中

会議の席上ただ一人「布マスク」を着用し続ける安倍首相の姿を見て

一般の国民の心の中にはどのような感情が芽生え始めているでしょうか

 
大切なのは 私たち一人ひとりが 俯瞰的に全体像を意識しながら

起こっていることを客観的にとらえ 自分自身の考えをもつこと

周りに流されず 自分なりの是々非々を判断していくことだと思います



飛躍的に聞こえるかもしれませんが

『数学』を学ぶことの意義は 実はそういったところにあると思っています

階段の傾斜を計算したりすることだけが 『数学』を日常に活かすということではありません

本当の『論理的思考力』とは こういった場面でこそ活きてくるものではないのでしょうか



まぁ 所詮『天邪鬼の戯言』に過ぎませんが

『天邪鬼の戯言』


以上 学長でした

 



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2020年04月07日 Posted byクレドアカデミー at 14:56 │日々雑感