子供たちの暮らす未来

今日は少し硬い話になります。

国内総生産(GDP)とは、その国の中で「新たに生み出されたモノやサービス」の量を金額で表したものです。
このGDPの伸び率を経済成長率と言います。

日本の場合、1955年~1975年の約20年間を見てみますと(当時は国民総生産GNPでしたが)、
1955年の9兆円から、1975年の152兆円へと驚異的な伸びを示しています(いずれも名目GDPです)。

これに対して、1994年~2014年の約20年間を見てみますと、
1994年には496兆円だったものが、2014年には488兆円となっています。
この間、500兆円を上回る年もあり若干の増減はありましたが、ほぼ横ばい状態にあります。

生活の豊かさは何も経済的なものばかりではなく、精神的なもの、さらには環境への配慮なども考えるべきであることは言うまでもありません。
しかし、国民全員が、「昨日より今日」「今日より明日」と少なくとも『経済的』に豊かになっていくためには、その大元(おおもと)となる「パイ」=「消費」を大きくしていくことが必要であると考えている人たちがいることも事実です。

一方、日本の人口は減少傾向にあり、人口構造も極端な少子高齢化となっています。すなわち、このままでは国内の消費も減少していくことはほぼ明らかであり、人口の減少によってGDPを支えている労働人口もまた減少していきます。

このような経済環境の中、今の子供たちが社会の中心を担う頃、日本社会はどのようになっているのでしょうか?

ひとつには、国内の「パイ(消費)」の増加が見込めない以上、これまで以上に海外需要を求めることになるでしょう。平たく言えば、商売の相手がさらに国外になるということです。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)も、その是非は別として、この考えの一環であるといえます。

さらに、労働人口の減少に伴い、海外から優秀な労働力が流入してくるでしょう。加えて、現行法では原則禁じられていますが単純労働者の就労も認められるようになってくるかもしれません。

その中で、日本人労働者には、高度な知的労働、対外的な折衝能力、外国人労働者を取りまとめる能力、様々な能力が求められることになるのでしょうか。

もしかしたら単なる気苦労、考えすぎかもしれません。しかし、今とは大きく異なる社会が近づいてきてる、そう考え、備えておくことが無難だと思います。

「語学力」は大学に入ってからでも、社会人になってからでも身につきますが、子供たちにはまず、「自分の頭で粘り強く考え抜く力」「高度な専門能力を習得するための基礎学力」をしっかりと身につけてもらいたいと考えています。

私も子を持つひとりの親として、「職場の上司がある日突然外国人になっていた」、これがCMの中だけの笑い話で終わってもらえればと、心のどこかで思っている自分がいます。
 
                                            以上、学長でした。  


2015年04月26日 Posted by クレドアカデミー at 11:05学長コラム