『自粛ですがなにか』
人にとって『名前』はとても大切なものですが
世の中には『名前』を付けない方が良いことも多いようで・・・
ある集団や事柄に『名前』を付けることで
主に2つの問題が発生すると 私は思います
一つ目は その『名前』に属するすべてのものを『一括処理』してしまうこと
二つ目は その『名前』に属していることが『言い訳』に使われてしまうことです
例えば 少し前『ゆとり世代』というのがありました
「ゆとり教育」を受けた人たちのことを指すようですが
この『ゆとり世代』の人たちは「失敗を恐れる」「打たれ弱い」などと言われていました
この『ゆとり世代』という名前をつけてしまったことで
同世代のしっかりした人まで「これだから『ゆとり』はダメなんだよ」と言われたり
本人たちも「すみません『ゆとり』なもので」とスルーするのに使ったりしました

世の中には『名前』を付けない方が良いことも多いようで・・・
あっ ちなみに今日は怒っていませんから(^.^)
ある集団や事柄に『名前』を付けることで
主に2つの問題が発生すると 私は思います
一つ目は その『名前』に属するすべてのものを『一括処理』してしまうこと
二つ目は その『名前』に属していることが『言い訳』に使われてしまうことです
例えば 少し前『ゆとり世代』というのがありました
「ゆとり教育」を受けた人たちのことを指すようですが
この『ゆとり世代』の人たちは「失敗を恐れる」「打たれ弱い」などと言われていました
この『ゆとり世代』という名前をつけてしまったことで
同世代のしっかりした人まで「これだから『ゆとり』はダメなんだよ」と言われたり
本人たちも「すみません『ゆとり』なもので」とスルーするのに使ったりしました
↑
「ゆとりですがなにか」は好きで観てましたよ(^^)v
今 気になっているのが『自粛疲れ』という言葉です
この『名前(言葉)』を作ってしまったのは失敗だったかもしれません
「自粛」が始まり 普段と違う生活をしていれば
精神的にも肉体的にもいろいろな変化が出ることもあるでしょう
そんなとき「あっ これが『自粛疲れ』かな」と勝手に思ってしまうのです
また『疲れ』という言葉が 何か被害者的な響きを備えているので
「私は『自粛疲れ』なんだ」
↓
「この『疲れ』を解消しなければならない」
↓
「ここまで頑張ったんだから 少しぐらい『自粛』を休んでもいいだろう」
この考え この流れが危険なんですよね
冷静に 客観的に 考えてみてください
『自粛』って疲れます?
実際 本当にストレスが溜まって大変なことになっている人もいると思います
しかし 多くの人はまだ『退屈』の範囲内で十分持ちこたえられると思います
単なる『退屈』を『自粛疲れ』という言葉で正当化して
勝手に自粛を『一時解禁』 なんてしないことが大事です
学校の休校も延長されたり 終わりが見えないという感じがするのは事実です
でも一方で 松本地域の警戒レベルが2から1に引き下げられました
ですから もう少し せめて5月6日まで みんなでおとなしくしてみましょう
見えないと思っていた終わりが 長野なら見えてくるかもしれません
頑張らなくてもいいです 『自粛』自体は基本疲れませんから

(困ったときの 猪木イズム(笑))
♬疲れを知らない子供のように~♬ と思わず口ずさんでしまった 学長でした
ちなみに『ゆとり世代』を あ~だこ~だ言っているおじさんたちの中には かつて『新人類』と呼ばれていた人もいますからね(^^)v