人を見て法を説く

生徒が、わからない生徒に勉強を教える。

よく聞く話です。

互いに助け合う、微笑ましい光景ですが、実は気をつけなければならないことがあります。

このような仕事をしていてつくづく感じるのですが、生徒が生徒に教える場合、「教える側」には大きなメリットがありますが、「教わる側」にはデメリットが生じることも少なくありません

「教える側」は、人に教えることによって自分の理解度を深めることができます。実際、教わった生徒がその内容を先生に説明するという『ユダヤ式学習法』というものもあります。私も、中学生に理科などを説明したとき、誰でもいいからつかまえて今の内容を説明するようにと指示することがあります。

一方「教わる側」のデメリットとは何でしょうか?
一言で言うと「教える側の『教え方の選択枝』が少ない」ということです。

単純な例で説明します。次の計算をどのように教えるでしょうか?

この場合、よくある教え方は次のふたとおりです。

①はルートの中の数を大きくしてさらにそれを素因数分解していくという、かなり煩雑な計算となります。

それに対して②は計算がシンプルな分、計算ミスも少なく時間も短縮できます。

②のほうが①より優れていることはご理解いただけると思います。

しかし、生徒が理解しやすいと感じるのは①の方なのです。

生徒がわからない生徒に教えるときも、①の計算方法のほうが多いようです。

私も、数学がどうしても苦手で「総合テストでなんとか計算問題だけでも得点したい」という場合には、①の計算方法を教える場合もあります。

しかし、先々の数学の発展のことを考えれば、最初はとっつきにくくてもできる限り②の計算方法をマスターしてもらうように努力しています。

大切なのは「教える側」が教え方の選択肢を複数持っていて、その生徒に応じた必要十分な解法を提示できるかということです(高校生になるともっと極端で「理系」の生徒と「文系」の生徒では教え方もかなり変えていきます)。

「学生アルバイト」の講師についても同じことが言えます。多くのアルバイト講師は「自分なりの解法」しかもっていません。

『人を見て法を説く』ことこそが「教える側」にとってもっとも大切なことなのです。


以上、学長でした。


    


2019年06月12日 Posted by クレドアカデミー at 14:42学長コラム